感情に飲み込まれそうなとき人生をスクリーンに映してみる

「わたしの足あと」

「ここにいる自分」を思い出すために

私は、子どもをはじめて出産したとき、
人生の中にいくつかの大きな課題が生まれました。

子どもが病気をもって生まれたこと。
それによって、命の誕生は決して「あたりまえ」ではないということを
身をもって知りました。

そして、役所に届け出をするとき、
はじめて手にした戸籍謄本に書かれていた
「養女」という文字。

――私は、望まれずに生まれたの?

その問いが、心の奥に残りました。

それ以来、私は
「自分が生まれてきた意味」
について考えるようになりました。

生まれてきてよかった?という疑問

答えがほしくて、いろいろな本を読みました。
松下幸之助さんの言葉。
『神との対話』や、バシャール。

正直、すべてを理解していたわけではありません。
でもそこには、
「生きていてもいい」
と思わせてくれる何かがありました。

きっと私は、
「私は生まれてきてよかった」
そう思える答えを探していたのだと思います。

人の生まれた境遇は、本当にさまざまです。
その時々の困難を比べても、きりがありません。

人生の舞台も、
与えられた環境というセットも、
出会う人たちという登場人物も、
みんな違います。

だから、感じ方も、傷つき方も違う。

誰かの苦労を見て
「まだましだ」と思うことが、
本当の慰めになるとは、私は思えません。

その人の困難には、
その人が越える意味がある。
私は、そう感じています。

🌿人生劇場

「人生劇場」という言葉を聞いたとき、
私はふと、
自分の人生の主人公は、私なんだ
と心に収まりました。

それから私は、
感情が大きく揺さぶられたとき、
自分の状況や、発した言葉を、
映画のスクリーンに映すように
思い浮かべるようになりました。

少し距離を取って、自分を眺める。
そして、
「なぜ、そう感じたのか」
「この感情の奥に、何があるのか」
を探るようになりました。

そんな習慣が、いつしか
「ここにいる自分を思い出す」
ことにつながっていきました。

🌿ある人の言葉から

松下幸之助さんの本の冒頭に、
こんな言葉があります。

自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない道である。

この言葉に出会ったとき、
「望まれずに生まれてきた」という解釈から、
「これは、私にしか歩めない道なんだ」
と受け取れるようになりました。

そうか、これが私の道なんだ。
人生劇場でいうなら、
これは私に与えられた背景なのだと。

この道が果たして良いのか悪いのか、
思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし所詮は、この道しかないのではないか。

「この道しかない」という言葉に、
私は覚悟が決まりました。

周りと比べて
「どうして、こんなことが…」
と打ちひしがれているだけでは、
前に進めません。

それなら、
どうやって乗り越えていくか。
どうやって支えていくか。
そう考えるようになりました。

子どもを病気で産んでしまったという自責の念。
病気をもって生まれた子を、不憫に思う気持ち。

そのすべてを含めて、
これが私の道なのだと
受け止めるようになりました。

いつか、私を恨む日が来るかもしれません。
それでも、そのすべてを含めて、
愛し、育て、支えていく。
それが私の道だと、決めました。

🌸最後に

もちろん、今でも感情は湧き上がります。
「くぅ〜!!」となることもあります。

でもそのたびに、
私は自分に問いかけます。

「なぜ、私はこんなに揺れているのか」
「私は、本当はどうなりたいのか」

そうやって問い続けながら、
私は今日も、
この人生のスクリーンの中で
自分の一場面を生きています。

今日もあなたの心が、
少しやわらかくなりますように🍃

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