人は生きていると、必ず困難に出会います。
その困難は、多くの場合「快・不快」という感覚から始まります。
赤ちゃんでいえば、
おむつが汚れた、空腹になった、
暑い、寒い――
不快を感じると、泣いて訴えます。
言葉を話せない赤ちゃんの泣き声に、
大人は「何が原因だろう」と試行錯誤し、
泣き止んだとき、
不快から快へ導けたことに安堵します。
小さいうちは、
靴が履けない、
欲しいものを買ってもらえない、
大切なおもちゃが壊れた、など。
泣くことで不快や怒りを表し、
快に移行することで、気持ちが落ち着いていきます。
けれど大人になると、
ところ構わず泣きわめくわけにはいきません。
理性や知性が育ち、
困難に直面したとき、
人はさまざまな回避策を取るようになります。
そうした経験を重ねるうちに、
自分なりのストーリーができ、
「自分の中の正解・不正解」が形づくられていきます。
被害者意識は自己防衛
人には、防衛反応があります。
困難に直面すると、自分を守ろうとします。
小さな困難であれば、
対策を講じることで乗り越えようとします。
けれど、その困難に他者が関わるとき、
原因は自分ではなく、
「相手にある」と感じてしまうことがあります。
それが、いわゆる被害者意識です。
別の方法を探す余裕がなくなり、
相手を攻撃してしまうこともあります。
それもまた、一種の自己防衛です。
自分ではコントロールできない困難に出会ったとき、
国でいえば「行政が悪い」と感じたり、
誰かを悪者にすることで、
解決よりも不満や怒りに思考が向いてしまうことがあります。
「ひとのせい」です。
「あの人のせいで、私は苦しんでいる」
自分が正義で、相手が悪になる構図です。
🌿その情報は偏っていませんか?
“ひとのせい”にすることは、
自分を守る手段でもあります。
だから、すべてが悪いとは、私は思いません。
ただ、最近のSNSやインターネットの情報は、
あまりにも多すぎます。
情報を受け取り続けることで、
「自分の気持ち」や
「困難の本当の原因」
「解決策を考える」その余裕が、
少しずつ失われているように感じます。
浅い情報のまま、
自分の中で正解・不正解を決めてしまい、
その“不正解”に対する不満や文句に
意識が集中してしまうこともあります。
今日のお話は、
「被害者意識がダメ」という話ではありません。
私自身も、長い間
「他者や環境が、自分の不幸の原因だ」
と思っていた時期があります。
傷ついたとき、人は自分を守りたくなるものです。
だからこそ、
その正解・不正解は、
偏った情報から作られていないか
一度立ち止まってみてほしいのです。
🌿正しさは立場によって違う
SNSなどでは、
あなたが興味を示しそうな情報が、
アルゴリズムによって選ばれ、表示されています。
似たような情報ばかりを目にすることで、
「これが正しい」という感覚が強まり、
違う意見に触れる機会が
少なくなっている傾向があります。
今の世の中には、
真偽のわからない情報も多く、
すべてを精査することは、正直むずかしいでしょう。
🌸最後に
様々な情報の中で
偏った情報を受け取って納得していたかと思うと
また違う情報によって迷いが出たり
混乱することもあるかもしれません。
そんなときは
赤ちゃんの頃のように、
「自分がどう感じているか」― 快か、不快か。
そこに立ち戻ってみるのも、ひとつだと思うのです。
こちらの情報、あちらの情報を行き来するのではなく、
ふと
「もしかして、今はフィルターバブルの中かもしれない」
そう思い出してみてください。
それだけでも、
被害者意識から、
少し距離を置くきっかけになるかもしれません。
今日もあなたの心が少しでもやわらかくなりますように🌿


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