心配が尽きない日々から、信じるへシフトするまで
心配にはいろいろな対象がありますが、大きく捉えると、
“まだ起きていないこと”に対して心がざわつく のが「心配」の正体です。
未来に向かってふくらんでいく不安。
その大きさは、小さな気がかりから、胸をしめつけるほどの重たいものまで、幅広くあります。
今回は、私が 反抗期を迎えた子どもに向けていた心配の仕方を、どうシフトチェンジしたか をお話します。
🌿妊娠中からはじまった「子ども中心の世界」
妊娠が分かってお腹に命を授かった時、
子どもはまるで自分の身体の一部のようでした。
出産が近づくにつれて身体は思うように動かず、
何をするにも不自由さは増すけれど、
「この子に会える」と思うと、その期待がすべてを支えてくれる。
そんな日々でした。
生まれたばかりのわが子を胸に抱いたとき、
「この子を育てていくんだ」と自然に母性があふれてきて、
心も思考も、すべてが “子どものため” にシフトしていきました。
病気のときは寝不足になりながら看病し、
事故のないように目を配り、
すくすく育ってほしいと願いながら、子どもの成長をナビゲートしていく毎日。
この頃の私は、子どもをまるで 自分の分身のように感じていた のだと思います。
🌿子どもの世界が広がり、心配の形も変わっていく
保育園、小学校と成長するにつれて、
子どもにも自分の社会ができていきます。
子どもが一人で友達と遊びに出かける頃になると、
「楽しんでいるかな」「けがしてないかな」
と、心配の質が少しずつ変わっていきました。
本音を言えば、24時間見守っていたい。
当時はGPSもなく、帰りを待つ時間は祈るような気持ちでした。
「ママが大好き」という思いが、言葉にしなくても伝わる時期。
自分が子どもにとって“かけがえのない存在”だと感じられる時間でもありました。
🌿そして突然訪れる、反抗期
そして、時は流れ――反抗期が突然やってきます。
子どもにとって“自分の世界”が急速に広がっていく時期。
その中で、親は 不要な存在 のように扱われ、煩わしいものになります。
口調も態度も変わり、あふれるエネルギーが反抗という形で爆発し、
その矛先が母親に向いてくることもあります。
ちょうど受験期だったこともあり、
子どものストレスがすべて私にぶつけられているように感じました。
言葉をかけても跳ね返され、
こちらの提案も届かない。
母親として「リスクを避けてほしい」「ちゃんとしてほしい」という思いから
つい口を出すけれど、返ってくるのはただ一言。
「うざい」
朝起きてから寝るまで、私は子どもに注視していました。
でも、どれだけ気にかけても、
子どもにとって私はただの“うざい存在”。
そんな日々が続きました。
🌿はらわたが煮えくり返った日
ある日、私は心の中でこう叫んでいました。
「誰、この子生んだの?」
――それは私。
「誰?こんな子に育てたの?」
――それも私。
自分に返ってくる問いを前にして、胸がしめつけられました。
「あー私だ、そっかーっ私だ」と
そして覚悟をきめました。
母親としての覚悟です。
そのとき、私はようやく気づいたのです。
これまでは自分の「こうあるべき姿」を子供に当てはめていました。
時には自分の感情で言い放つように「~しなさい」と言っていました。
子どもを“自分の子ども”として心配している限り、関係はこじれる。
当たりまえにそばにいてるわが子という考えをやめました。
時には自分の感情で言い放つではなく「言葉を選ぶ」ことにしました。
私はシフトチェンジしました。
子どもを “ひとりの人” として見ることにしたのです。
親子である前に、一個人。
人生を選び、考え、間違いながら成長していくひとりの人間。
その視点に変えた瞬間、
私の心配の仕方が、すこしずつ変わっていきました。
🌿「勉強しなさい」では届かないと分かった日
私は「勉強しなさい」と言う代わりに、
自分の経験を子どもに丁寧に話すことにしました。
中学は“地域の子どもの集まり”だけれど、
高校は違います。
偏差値が同じレベルの子が、いろいろな地域から集まる。
そこで初めて知る世界がある。
本当に気の合う仲間に出会えることも多い。
私自身、高校生活はとても楽しくて、
今でも続いている友人はほとんど高校時代の友達です。
だから私は子どもに言いました。
「高校に行って、世界を広げてほしい。
今の友達とも、受験が終わればまた遊べばいい。
そんなことで壊れる関係なら、最初から本物の関係ではないよ。」
「勉強しなさい」という指示では届かなかった思いが、
やっと“ひとりの人”として伝えられた気がしました。
この頃から子どもとの関係も落ち着き、
口調や態度も柔らかくなっていきました。
🌿高校に入っても心配はなくならない
子どもが高校に入り、
交友関係も行動範囲も一気に広がりました。
友達の家に行くと言って出かけても、
もう近所とは限りません。
だから私は、ひとつだけお願いしました。
「もし事故に遭ったり、帰ってこなかったら、
捜索願いを出すにしても場所が分からないと探しようがない。
だから行き先だけは教えてほしい。」
心配は決して消えません。
けれど、あの頃の私を一言で表すなら、
「腹をくくっていた」
これが一番しっくりきます。
🌸最後に
ひとりの人として関わるということ
いま振り返って思うのは、
子どもとはいえ彼・彼女らは “自分の分身ではない” ということ。
宝物であることに変わりはない。
でも、ひとりの人として自立していくためには、
親である自分が適切な距離を持つことが大切なのだと
あの経験が教えてくれました。
そして私は今も同じスタンスでいます。
ひとりの人として自分の人生を歩むのは自由。
でも困っているときは、手を差し伸べられる距離にいる。
心配の形は変わっても、
子どもの人生を尊重するという軸は、ずっと変わらず私の中にあります。
これはあくまでも私の環境の話ですが
子供との関係性を成長に合わせて変えてみるということを伝えさせていただきました。
今日もあなたの心が少しでもやわらかくなりますように🌿
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