「もうえぇで、おかん」ー娘の人生を、見守ると決めた日ー

「わたしの足あと」

「親にとって、子どもはいつまでも子ども」

そんな言葉があります。

私にとっても同じです。

娘たちが30歳を超えた今でも、やっぱり子どもは子ども。

私は離婚をしてから、まず経済的に自立することを目標にしました。

世帯主として子どもたちを育てていくためには、経済的な自立が必要だったからです。

そして、親としての願いは、娘たちが健康に育ち、いつか自分の力で生活できる大人になること。

それが、私の目標でもありました。

🌿娘のことは、私が考え、私が答える

上の娘は、生まれてすぐに病気が見つかりました。

生後まもなく大きな手術を受け、それから長い闘病生活が始まりました。

私も付き添いとして、一緒に入院生活を送りました。

先生や看護師さん、たくさんの医療従事者に囲まれた生活。

「どうですか?」

そう聞かれれば、もちろん私が答えます。

娘のことは、私が考え、私が答える。

体調を心配し、様子を見守り、ときには先生に相談しながら
娘にとって何が一番いいのかを考えていました。

私にとって、娘は一心同体のような存在でした。

子どもの幸せを願い、つい先回りしてしまう。

そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

娘がある程度、自分のことを話せるようになっても
私は娘が言葉を出す前に、横から口を挟んでしまう。

今思えば、結構前に出る困ったお母さんでした。

中学生になる頃には、さすがにこれではいけないと思い直しました。

外来でも、入院中でも、娘のことは娘自身が考え、自分の言葉で伝えられるように。

私はなるべく口を挟まない。

これがなかなか難しい。

横から言いたくなるのを、ぐっと我慢していました。

自立してほしいと願いながら、結局は口を出してしまう。

心配もしてしまう。

「いくつになっても、子どもは子ども」

そんな母親でした。

🌿命を守ることに必死だった日々

やがて娘の体調は少しずつ悪くなり、移植の話が出る頃には、娘は私を拒否するようになっていました。

コミュニケーションも取れない状態。

どうしたらいいのか。

どうしてあげたらいいのか。

母親として、どうあるべきなのか。

わからなくなる時期もありました。

私は、娘を健康に産んであげられなかったという思いを、ずっと抱えていました。

だから、心の中でひとつの使命を掲げていたのです。

「この子の命が消えそうになったら、私が助ける」

そして、移植手術を受けました。

手術は無事に終わり、娘とのコミュニケーションも少しずつ取れるようになりました。

私にとっては、長年抱えてきた使命を果たしたような気持ちでした。

お腹に残った手術の傷さえ、勲章のように思えました。

でも、命が助かったからといって、それですべてが解決したわけではありませんでした。

🌿生きることになった、その先の人生

退院後、娘は復学し、私も仕事に復帰しました。

新しい生活が始まり、3年ほどたったある日。

突然、娘が家を出ていくと言い出しました。

「このまま家にいてたら、お母さんに甘えてしまう」

「私自身が成長しないと」

娘は、自分のこれからの人生について話してくれました。

「お母さんは私を助けるために、移植までしてくれた」

「でも正直、私はその先の人生があるなんて、全く考えていなかった」

長い入院生活の中で、昨日まで院内学校に来ていた友達が、今日は来ない。

そんな環境で過ごしているうちに、いつしか自分もそうなると思っていたそうです。

自分は死ぬのだと。

正直、娘がそんなことを胸に秘めていたとは思いませんでした。

ショックでした。

病気と闘い、命をつなぐことは、娘も同じ気持ちだと思っていたからです。

でも、娘は自分の人生を、私とは違う視点で見ていたのです。

「死ぬと思ってた」

ところが、移植をして元気になった。

「え? 話ちゃいますやん? 生きてますけど? これからどうするん?」

娘は、そんな気持ちだったと話してくれました。

私は娘に生きていてほしかった。

でも娘は、その先の人生をどう生きたらいいのか、わからなかったのです。

だから、自分に何ができるのかを探したい。

そう言って、住み込みの仕事を見つけ、家を出ていきました。

移植前にコミュニケーションが取れなくなった時期を経験したことで
私自身も娘への向き合い方を考え直していました。

娘の意思を尊重しよう。

娘の思いを受け止めよう。

そんな気持ちがあったからこそ、私は娘が家を出ることを引き止められませんでした。

ただ、連絡だけは取れるようにしてほしい。

それだけを約束してもらいました。

🌿娘の姿が見えない不安

何日かに一度、娘から電話がありました。

住み込みの仕事を辞めることになった。

友達の紹介で、違う仕事に変わった。

住むところはあるから大丈夫。

そんな話を聞くたびに、私は不安でいっぱいになりました。

ちゃんと生活できているんだろうか。

体調は大丈夫なんだろうか。

何かあったらどうするんだろう。

一緒に暮らしていれば、娘の様子もわかります。

でも、離れて暮らしていると、見えないことばかり。

心配は、次から次へと膨らんでいきました。

無理やりにでも連れ戻したほうがいいんじゃないか。

そんなことまで考えていました。

何の準備もなく突然家を出ていったこともあり、母親としてどうしたらいいのか、答えを出せずにいました。

🌿「もうえぇで、おかん」

ある日、また娘のトラブルを聞いて、私は下の娘に話していました。

「また、おねぇ、こんなことになったらしい」

きっと、しかめっ面をしていたと思います。

すると、下の娘が言いました。

「もうえぇで、おかん」

「心配するの、やめとき」

「おかんは移植もして、おねぇの命を救った」

「でも、その救ってもらった命をどう使うかは、おねぇの好きにさしたらいい」

「もし無茶して死ぬことになっても、それはおねぇが決めたこと」

「だから、もうえぇで」

その言葉を聞いた瞬間、ハッとしました。

そして、笑いながら答えたのを覚えています。

「ほんまやな。ほっとこか」

何気ない親子の会話でした。

でも、その瞬間、何かが腑に落ちたのです。

🌿私が握っていた鎖

娘は、長い間、病気という鎖につながれていました。

そして、移植によって命がつながり、これまで想像すらしていなかった人生を歩き始めた。

自分に何ができるのか。

自分はどう生きたいのか。

それを探すために、一大決心をして家を出たのです。

娘はもう、自分で鎖を切っていた。

それなのに私は、心配や不安という鎖を、まだ握っていたのかもしれません。

娘を守りたい。

困らないようにしてあげたい。

何かあったら助けてあげたい。

そう思うことが、いつの間にか娘の人生を鎖で縛ろうとしていたのかもしれません。

この鎖を手放した先に、何が待っているのかはわからない。

それでも、もう手放そう。

娘の人生は、娘のもの。

これからは、見守っていこう。

そう腹を括りました。

🌿もうひとりの娘のこと

そして、そのとき思い出したことがありました。

下の娘のことです。

上の娘が入院すると、私は付き添いのために家を空けていました。

その間、下の娘は祖父母の家で過ごしていました。

以前、下の娘がこんなことを話してくれたことがあります。

「ある日突然、おねぇとオカンがいない」

「あ、入院したのね、っていう生活を当たり前にしてたし、大丈夫やで」

何も文句を言わず、そんな生活を受け入れてくれていた娘。

これまで、上の娘の病気を中心に生活してきました。

もちろん、下の娘は「おねぇのことなんて放っておけばいい」と言いたかったわけではないと思います。

でも、私はあの言葉をきっかけに、母親としての在り方を考えさせられました。

下の娘にも、下の娘の人生がある。

これからは、もっと下の娘にも目を向けよう。

そんなふうに思いました。

🌿手放すことは、見捨てることじゃない

娘の人生を娘に任せる。

そう決めたからといって、何もかもが心配なくなったわけではありません。

離れて暮らしている娘から、

「お腹が痛い。動かれへん」

と連絡が来ることもありました。

そんなときは、救急病院を探して、タクシーで行くように伝えました。

移植を受けていることや、これまでの病歴をきちんと説明すること。

以前は私がやっていたことを、娘自身でできるように伝えてきました。

もちろん、必要なときには私も病院に駆けつけました。

でも、少しずつ変わっていったのです。

今では、入院の段取りも娘が自分でしています。

個室に入ることになっても、総室に変更してもらったり。

病衣を着ても、さっさと自分の服に着替えたり。

入院費だって、自分で払っています。

そんな姿を見ると、

「頼もしくなったなぁ」

「経験から学んでいるんやなぁ」

と思います。

そして、娘が入院している間、私はというと……。

娘の家でお留守番をしている、にゃんずのお世話です。

トイレを掃除して、ごはんをあげて。

今では、そんな役割になりました(笑)。

🌿不安を抱えながらも、信じてみる

親にとって、子どもはいくつになっても子どもです。

心配する気持ちが、なくなるわけではありません。

でも、心配だからといって、娘の人生を不安という鎖でつなぎとめてはいけない。

大切な娘が、自分の足で歩こうとしているのなら、その力を信じてみる。

転ぶかもしれない。

失敗するかもしれない。

それでも、その経験から学ぶこともあるのでしょう。

私は、娘の命を守ることに必死でした。

でも、娘の人生を生きるのは、娘自身です。

手放すことは、見捨てることじゃない。

必要なときには手を差し伸べながら、普段は娘の人生を尊重する。

そんな関わり方もあるのだと、私は娘たちから教えてもらいました。

そして、娘の人生を娘に任せたとき、私自身の心も少し軽くなりました。

あの日、下の娘が言ってくれた言葉。

「もうえぇで、おかん」

一番そばにいて、入退院を繰り返す私たち二人を見守ってくれていたからこそ、その言葉が私の心に響いたのかもしれません。

母親であることは、子どもを育てるという役割だけではなく、私自身を成長させてくれる経験でもあるのだと思います。

子育てをしていく中で、価値観の違いに戸惑うこともあります。

それでも、娘たちとの関わりの中で、私自身が気づかされることもたくさんありました。

今回は、そんな私の気づきについて書いてみました。

今日のあなたの心に、小さな灯りがとどきますように。

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