誰かといても、孤独なとき

「わたしの足あと」

分かち合いたいのに、誰もいないとき

「美しい」と感じたとき、「おいしい」と笑ったとき。
その瞬間を、誰かと分かち合いたいと思う――。

でも、その“誰か”がいないとき、
私たちは孤独を感じるのかもしれません。

共鳴を求める心が、受け取ってもらえないと感じたとき、
孤独は静かにやってきます。

喜びを自分の中で響かせる

けれど、自分自身の中でその喜びの共鳴を見つけたとき、
孤独は、静かな幸せへと変わっていきます。

「誰かといても、孤独なときがある」
そんな寂しさを感じたときは、思い出してください。

ほんとうに求めているのは、理解?受容?

誰かに寄り添ってほしいと願いながら、
本当は、自分の思いをそのまま受け止めてほしいだけなのかもしれない。
誰かに理解されることで、自分の価値を確かめようとしてしまう。
そんな“心のくせ”の先に、すれ違いの種が落ちています。

けれど、寄り添いを求める気持ちは弱さではありません。
ただ、願いが強くなりすぎると、
知らず知らずのうちに、相手に“期待”を重ねてしまうのです。
相手の反応で、自分の気持ちの色が変わってしまう――
そんな状態が長く続くと、心はいつも揺れ続けてしまいます。

自分にとって都合のいい人がいないだけで、
自分の喜びを、相手に押し付けていませんか?
自立とは「一人でがんばる」ことではありません。
自分が感じた喜びを、まずは自分自身が受け取ること。
「これはわたしの大切な気持ちなんだ」と
自分に居場所をつくってあげることです。

孤独とつながり、そのどちらも自分の中にある

自分に居場所をつくってあげること。
そうできた瞬間、
その余白があるからこそ、
寄り添いは、依存ではなく“響き合い”へと変わっていく。

相手に理解されなくても、その喜びは失われません。
相手の反応に自分を明け渡す必要がなくなり、
やがて心に“余白”が生まれます。


だれかとの共鳴を求めて生きる私たちは、
いつも「孤独」と「つながり」のあいだを揺れている。

「孤独」と「つながり」そのどちらも、
ほんとうは自分の中にあるものなのかもしれません。
自分を満たしながら誰かとつながることが、
ほんとうの意味での「心のつながり」なのかもしれません。

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